耕作ブログ

いちご畑よ永遠なれ

Balkansprachbund

茶屋町のかっぱ横丁、
最近はバイトにJR大阪駅や中津駅から行くことが多くて寄ることができなくて残念なのだけれど、
帰るときいつも気になるのが、
西洋の画家のカレンダーが置いてあるお店。

僕はクリムトがなぜだか好きで、
去年も、
そのお店に飾ってあったカレンダーを買おうと何度も思った。

でも古書屋と違って入りにくいし、
売り物として扱っているのかもわからないし、
値段も貼っていないので、
なかなか手が出ない。

今年はなるべく早めに買えると良いな、と思う。

僕は、
高校2年生の頃、
通学路で県立美術館の展覧会のポスターで、
グスタフ・クリムトの名前をはじめて知った。

王子動物園の前の信号を渡ったところの、
教会の向かいの喫茶店のドアに貼ってあったそのポスターの前を、
僕は帰り道でひとりで通りすぎたのか、
それとも、
そのとき付き合っていた女の子と一緒だったのか、
僕にはどちらでもあったように思えてはっきりしない。

そのポスターには、
最も有名な、
あの女の人の恍惚の表情を下地に、
オリーブ色かおうど色で大きく「クリムト」と書かれていた。

女の子が画家について何か言ったような気もするし、
ホロフェルネスの首取りしユディトの裸体を見るのが恥かしくて、
無視したのかもしれないと思う。

第一、
下校するときに
(一緒に登校したことはほとんどないし、
ドアの向きの都合上、
南へ下るときにしか見えない)
僕と女の子が王子動物園からJR灘にむかう道を通ったことなんて数えるほどしかない。
僕は彼女に合わせて阪急王子駅から帰るのが普通だったからだ。

僕が女の子とポスターを見たという記憶は、
記憶の混乱の産物かもしれない。
そうでなければ、
二人がそれを目にしたのは、
ほとんど通ることのない道を通って、
放課後、
二人で海のそばの県立美術館に行くときだったのか。

夕方だとしても、
ユディトの白い顔は、
それほど暗いなかに浮かんでいたわけではなかった。
うすぐもりの、
喫茶店の壁の色と同じ、
含みのある白、
もしくはクリーム色の背景。
秋も暮れのころに?

その喫茶店にも、
誰かと行ったような気がするし、
のぞいたことすらないようにも思う。
(ただ、
ディスプレーの、
アイスが乗ったフレンチトーストやパフェなんかは、
妙に鮮やかに覚えている。)

僕の高校時代、
こころの書き込みが今よりもずっと少なくて、
素直でいることのできた日の描像であるところの、
喫茶店のクリーム色の壁と木の扉、
木枠で十字に区切られたガラス窓とディスプレー、
そしてクリムト展のポスターは、
もう、
人称もテンスも失ってしまって、
non-finiteな、
中に浮いた像として、
僕の頭のなかに浮かび消える。

去年の春ごろ、
大学の図書館で画集を手にとって、
クリムトが世紀末美術の旗手であったこと、
そしてファム・ファタルが彼の大きな主題のひとつであったことを知った。

17の僕がユディトと目が合ったとき、
隣にいたかもしれない女の子は、
もちろん、
僕のファム・ファタルにはならなかったし、
その他の記憶と同じように、
横顔も声もぜんぶ、
もうあまり有効な像をなさない。

だとすれば、
クリムトのポスターをめぐる僕の一連の錯綜は、
ことばが時とともにそのモーフォロジーを失っていくように、
できごとやモノや人や感情の記憶が、
輪郭を次第に消して、
マーブル模様を描いて、
新たな統語法を構成しつつあることの証左なのだろう。

再分析と構造化は、
なかば無意識下に、なかばは意識的にすすむ。

22時すぎの、
暗いウィンドウに吊り下げられたカレンダーのなかに、
半分目を閉じ、
首を抱えた彼女は今もいるのだろうか?

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